経営コンサルタントとして最後の京都出張

京都で働ける!と思って入った今の会社。

京都支社は京都のクライアントさんの一区画を借りてるだけで、実質機能していないと分かったのは、面接が進んでから。

まあいいか、と思って入社したけど、やっぱり東京勤務が苦痛すぎた。電車で人に押しつぶされて、会社では協調性がないと怒られ、唯一の楽しみは通勤途中の道草。それでも東京の冷たさに打ちのめされる毎日。

たまたま京都のクライアントさんを割り当てられて、月1で経費で京都に行けた。それが救いだった。

クライアントさんはうちの会社で一番のロイヤルカスタマーで、それなりに厳しくて何度も胃が痛くなったけど、会議終わりに京都の街に繰り出すだけで癒された気がした。

京都にいると自分の好きだったものを思い出すというか、本来の自分に戻れたような感覚があって、「ああ、私が住むべき街はやっぱり京都なんだ」と思わされる。

今日は最終出張日。

午前中に平安蚤の市にお邪魔して、心してクライアントさんの元へと向かう。

私を置いてけぼりにして会議は進み、最後に今日が最後なんです、と告げると「次は何するの?」等ありがちな会話がなされて終了した。

なんだか呆気なかった。

でもそれでいいと思った。

人を巻き込んで大きなことがしたい人達と、自分と周りの人だけで小さなことがしたい私との違いが明確になった気がする。

私はこの人達には価値は出せない。

私は周りを幸せにできるくらいの小さな価値を発揮したい。

ブログを始める理由

大学の後輩が亡くなった。

私の2個下だから、25歳か。
なんで亡くなったのか、原因はわからない。

髪の毛は細くてサラサラしていて、雪のような真っ白な肌をしていて、柔らかな笑顔が素敵な女の子だった。いつも微笑んでいて、でもどこか儚げな雰囲気を漂わせていた。

今にも透明になって消えてしまいそうだったけど、本当に消えちゃうとは思わなかった。
しかもこんなに早くに。

彼女の家族に送る写真を集めようと、大学の有志で集まった。ぽつぽつと写真が見出されていく。

そんな中で、15年以上毎日ブログを続けている猛者のブログから、彼女の断片が見つかった。

山仕事をする準備をしている、森林組合での集合写真。
彼女は後ろを向いていて、顔は見えないけれど、背負っているリュックは彼女のものだ。
生きていた証がちゃんとあった。

————————————
記録を残すって、本人のためだけじゃなくて、残された人のためでもあるんだ。
残された人はきっと、その人の断片を拾い集めて、胸に抱えながら生きていく。

「あ、こんなところにもいた」とアルバムの中から故人の姿を見つけた瞬間に、宝を見つけた気になるけど、その思い出をなぞっている時間が故人にとっても、残された人にとっても宝物になるんだろうな。

文章を書くのは好きなのにブログはどうしても続かなかったけど、生きていた証を残そうかなと思い始めた。
毎日やると決めたら続かないから、自分のペースでゆっくりと。

Wちゃん、どうか安らかにお眠りください。
幸せをいっぱい与えてくれてありがとう。